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6月17日 午前8時妹に送られて大学病院へ。
初診外来は休診日なのだが、昨日行った総合病院へ派遣されてるS先生が特別に診察してくれる事になっていた。
外来で採血、レントゲン、心電図、尿検査。弟も合流、始めて兄弟3人でタンメンの昼食をとる。
S先生の所見もビタミンB又は葉酸の欠乏、遺伝的な血球の肥大か白血病の疑いがあるという事だった。

血液内科へ入院手続きし便検査、骨髄穿刺。
部屋はナースステーションに近い4人部屋、763号。早速、輸血が始まる。
夕方、妻も仕事の手配を終え合流。
チーム医療という事らしく6名の先生が担当医になるが、研修医のT先生が採血やもろもろの連絡をしてくれた。

入院診療計画書では「汎血球減少」、入院期間未定とあった。

6月18日 輸血、骨髄穿刺やり直し。(後で解ったが骨髄に浸潤していて取り難かった)

6月19日 輸血 食事は大盛り。

6月20日 採血 

6月23日 採血、この部屋はナースステーションに一番近い部屋だ。と言う事は?
診察に来る先生、担当の看護士にしきりに貧血症状はないかと訪ねられた。貧血=立ちくらみではないとのこと。血液データーは極度の貧血状態を現していた。
この濾胞性リンパ腫の特徴は、動きが遅いのが特徴。
発症までに1年?6年かかってるらしい。その間徐々に他の血球と共にへモグロビン(酸素の運搬)も減っていき、丁度、高地トレーニングを受けて身体の方が酸素不足に慣れてしまっていたような状態にいたらしい。

6月24日 CT

6月25日 採血 昨日のCTの結果腹部にリンパ節の腫れが見つかる。

6月26日 輸血

6月27日 ここまでの検査からリンパ腫の報告を受ける。
通常は、各リンパ節が腫れて発見されることが多くまれなケースと言う事で、予測をしていた最悪の結果だった。
この時はまだ、悪性があるのなら良性もあるのでは?などと勘違いな淡い期待をもっていた。
気持ちの落ち込みを察してか看護士のTさんが足湯を進めてくれた。
心の芯が暖められたようだった。この辺から前向きに考えられる様になった。
また、診察に来る先生方が急に各リンパ節を触診していくようになる。

6月28日 外出許可で帰宅しリンパ腫につきネット検索し悪性しかない事でがっかりした。
病院にもnetカフェみたいなものがあるが印刷ができないブックマークができない、一度見たところを叉見るような状況だった。

6月30日 初めての胃カメラ、操作してる先生がPHSで血液内科の担当医に「こんなにきれいな胃なのに生検をするのか」と2度確認していた。傷ついて「胃ガンになったらどうすんの」ととんちんかんな疑問とそんなに神経質な性格では無かったのかと思った。胃の内部への浸潤を調べたかったようだ。

ノイトロジン(白血球を増やす)の注射が始まる。

7月2日 消化器外科へ転科、557号室。
リンパ腫の型の確定の為、リンパ節を取り出して検査をする事になる。

外科の先生から胃の肝臓側で門脈に近いところから取る、腹腔鏡の予定で始める、失敗はそうない。
カメラを入れてみて無理だったら開腹すると説明を受けた。

7月3日 腹腔鏡はできず開腹手術。

7月4日 お粥、早速動き回される。4人部屋で2名はげろげろして何か憂鬱になってしまう。

7月7日 血液内科に戻る。叉運良く元の763号で安心。

7月11日 午前中若い女医さんに痛いよーとからかわれながら抜糸。と言っても糸ではなくホッチキス。
午前中PET検査。
夜、5名の担当医に囲まれ検査報告と今後の治療内容を聞く。
濾胞性悪性リンパ腫。非ホジキンリンパ腫、B細胞性、低悪性度、4期(骨髄浸潤)
R:リツキサン、C:エンドキサン、H:アドリアシン、O:オンコビン、P:プレドニンを組み合わせた(R-CHOP)化学療法を1クール21日で8回行なう。12月までかかる。

濾胞性リンパ腫の化学療法は、例えると水を入れた桶に土を放り込みかき混ぜてザルですくう様なもので、どうしてもガン細胞の取りこぼしができ、それがまた時間が立つと増えてくる。
悪性度は低い(進行は遅い)が、完治はむずかしい、必ず再発をする。移植はできない(今回)。
どんどん駄目押しをされ、ここで半ば仕事はあきらめた。

 
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