7月14日 化学療法開始。骨髄浸潤がひどい所為かCHOPが先になる。夜中にしゃっくりが出る副作用?が2日続いた。プレドニンは今日から5日間飲む。苦い。体重55.1Kg

7月15日 副鼻腔炎治療、化学療法が始まると白血球が下がり免疫力が低下し感染症の危険が生じる為、虫歯、副鼻腔炎(蓄膿症)等の治療を済ませておく事になる。

7月17日 副作用 べろのしびれ、ひりひり感が出る。
 
7月18日 リツキサン、副作用 あごの痛み、微熱、発汗、虚脱感が出る。

7月19日から28日まで 抗生物質を点滴 発熱(38.9度)と骨の痛みがある。
がん患者の会の会合がこの日にあり参加した。入院中の患者は一人だけだった。
ナースセンターの前にお知らせの張り紙があった。
7月21日 血小板、赤血球輸血。

7月22日 昨日、白血球数が200まで落ち感染症予防の為、アイソレータ(ベットの周りをビニールで囲われ頭の方から空気清浄機で風が流れる様になってる)を使用することになる。活動範囲も部屋の中に制限される。

この時は看護士さんに買物や用事をお願いしてお世話になった。ありがとう。

7月25日 赤血球輸血。骨の傷み、ベロのしびれ減る。

7月27日 血小板輸血、アレルギー(じんましん)が出て中止。
 副作用 脱毛が始まる。指でつまんだらごっそりと抜けてきてショックだった。
 体重48.3Kg、入院期間中で最低値。発熱や味覚障害で食欲が落ちたのが大きかった

7月29日 アイソレーターから開放される。強制的に背中側から風が流れてる状態で寒かった。うれしさと体力維持の為、病院内を歩き回る。

7月30日 体重49Kg、白血球も1400迄戻り病院内での活動許可が下り、理容院へ行き
思い切ってスキンヘッドにした。ともかく無くなるまで抜けてくるので正解だった。
今月はノイトロジンを28本注射。(6月30日に1本)

昨日、歩きすぎたのか爪が長すぎたのか?両足の親指の爪が紫色に変色。看護士に聞くと剥れたわけでは無いので、血小板が少ない事も影響してるとか説明があった。

8月2日 入院していて感じたのは、身近(入院してる階)にリンパ腫の情報が少ない事。
計画入院でなく緊急入院だったせいか資料らしい物はもらえなかった。

仕方なく白血球が安定し感染症の恐れが無い時に病院中探し回った。
病院自体の情報も外から(インターネット)で見た方がはるかに分かりやすい事に気付いた

前回の癌患者の会の世話人看護士から、血液のガンの患者会が発足する事を聞いていたので参加した。白血病が3名、マントル、濾胞性1名づつだった。皆さん何らかの移植経験をされていた。

8月5日 2クール目 リツキサン 副作用で39.1℃の発熱。
 この病院ではR-Chopの場合入院で2クールして、以降外来でする事になっているが、今回の発熱でアレルギー対策を探る為もう1クール入院で実施する事になった。

8月7日 2クール目 オンコビン、アドリアシン、エンドキサン、プレドニン(5日間)
 午後8時頃からまたしゃっくりが始まる。

8月11日 やっと体重が51Kg迄戻る。白血球が落ち込むと出される食事が、総て加熱処理されたものになったり、副作用で味覚障害が出たり食欲がなくなる。
 インスタントみそ汁、カップラーメンの力を借りて食事は完食に努めた。

8月17日 血小板輸血、今回はアレルギーは出なかった。

8月20日 今後の治療に対する説明があった。アドリアシンの心臓への蓄積副作用と温存の為、治療は6クールになった。

8月22日 食事を大盛に戻してもらう。7月5日に外科に転出してから普通盛りだった。

8月26日 3クール目リツキサン(発熱対策を探る)

8月28日 3クール目オンコビン、アドリアシン、エンドキサン、プレドニン(5日間)

8月29日 退院前に外出届けを出し、自宅に戻った。今まで世話になったパートに今日限りでやめてもらう為、最後に一言謝りたかった。むなしさ悔しさが込み上げてきた。

8月30日 努力のかいあって体重が54Kg迄戻る。

8月31日 退院。外来で残り3クールをする事に。

長い76日が終わった。この間、仕事は女房任せ、頭の中はこの病気が今後どうなるのか?それによって仕事をどうしていくのか?そんなことばかり考えていた。
奥さんにありがとう。

今月ノイトロジンを27本注射。合計入院中56本注射。
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6月17日 午前8時妹に送られて大学病院へ。
初診外来は休診日なのだが、昨日行った総合病院へ派遣されてるS先生が特別に診察してくれる事になっていた。
外来で採血、レントゲン、心電図、尿検査。弟も合流、始めて兄弟3人でタンメンの昼食をとる。
S先生の所見もビタミンB又は葉酸の欠乏、遺伝的な血球の肥大か白血病の疑いがあるという事だった。

血液内科へ入院手続きし便検査、骨髄穿刺。
部屋はナースステーションに近い4人部屋、763号。早速、輸血が始まる。
夕方、妻も仕事の手配を終え合流。
チーム医療という事らしく6名の先生が担当医になるが、研修医のT先生が採血やもろもろの連絡をしてくれた。

入院診療計画書では「汎血球減少」、入院期間未定とあった。

6月18日 輸血、骨髄穿刺やり直し。(後で解ったが骨髄に浸潤していて取り難かった)

6月19日 輸血 食事は大盛り。

6月20日 採血 

6月23日 採血、この部屋はナースステーションに一番近い部屋だ。と言う事は?
診察に来る先生、担当の看護士にしきりに貧血症状はないかと訪ねられた。貧血=立ちくらみではないとのこと。血液データーは極度の貧血状態を現していた。
この濾胞性リンパ腫の特徴は、動きが遅いのが特徴。
発症までに1年?6年かかってるらしい。その間徐々に他の血球と共にへモグロビン(酸素の運搬)も減っていき、丁度、高地トレーニングを受けて身体の方が酸素不足に慣れてしまっていたような状態にいたらしい。

6月24日 CT

6月25日 採血 昨日のCTの結果腹部にリンパ節の腫れが見つかる。

6月26日 輸血

6月27日 ここまでの検査からリンパ腫の報告を受ける。
通常は、各リンパ節が腫れて発見されることが多くまれなケースと言う事で、予測をしていた最悪の結果だった。
この時はまだ、悪性があるのなら良性もあるのでは?などと勘違いな淡い期待をもっていた。
気持ちの落ち込みを察してか看護士のTさんが足湯を進めてくれた。
心の芯が暖められたようだった。この辺から前向きに考えられる様になった。
また、診察に来る先生方が急に各リンパ節を触診していくようになる。

6月28日 外出許可で帰宅しリンパ腫につきネット検索し悪性しかない事でがっかりした。
病院にもnetカフェみたいなものがあるが印刷ができないブックマークができない、一度見たところを叉見るような状況だった。

6月30日 初めての胃カメラ、操作してる先生がPHSで血液内科の担当医に「こんなにきれいな胃なのに生検をするのか」と2度確認していた。傷ついて「胃ガンになったらどうすんの」ととんちんかんな疑問とそんなに神経質な性格では無かったのかと思った。胃の内部への浸潤を調べたかったようだ。

ノイトロジン(白血球を増やす)の注射が始まる。

7月2日 消化器外科へ転科、557号室。
リンパ腫の型の確定の為、リンパ節を取り出して検査をする事になる。

外科の先生から胃の肝臓側で門脈に近いところから取る、腹腔鏡の予定で始める、失敗はそうない。
カメラを入れてみて無理だったら開腹すると説明を受けた。

7月3日 腹腔鏡はできず開腹手術。

7月4日 お粥、早速動き回される。4人部屋で2名はげろげろして何か憂鬱になってしまう。

7月7日 血液内科に戻る。叉運良く元の763号で安心。

7月11日 午前中若い女医さんに痛いよーとからかわれながら抜糸。と言っても糸ではなくホッチキス。
午前中PET検査。
夜、5名の担当医に囲まれ検査報告と今後の治療内容を聞く。
濾胞性悪性リンパ腫。非ホジキンリンパ腫、B細胞性、低悪性度、4期(骨髄浸潤)
R:リツキサン、C:エンドキサン、H:アドリアシン、O:オンコビン、P:プレドニンを組み合わせた(R-CHOP)化学療法を1クール21日で8回行なう。12月までかかる。

濾胞性リンパ腫の化学療法は、例えると水を入れた桶に土を放り込みかき混ぜてザルですくう様なもので、どうしてもガン細胞の取りこぼしができ、それがまた時間が立つと増えてくる。
悪性度は低い(進行は遅い)が、完治はむずかしい、必ず再発をする。移植はできない(今回)。
どんどん駄目押しをされ、ここで半ば仕事はあきらめた。